Pocket

Print Friendly, PDF & Email

徳川家康公遺訓と僕の人生

徳川家康公遺訓と僕の人生

人の一生は重荷を負うて永き道を行くが如く。急ぐ可からず。堪え忍びは無事長久の基。怒りは敵と思え。勝つ事ばかり知りて負ける事を知らずば害その身に至る。及ばざるは過ぎたるより勝れり。(徳川家康公遺訓)

僕の人生は高校生ぐらいから段々と悪くなってきた。

20歳以降は給料泥棒を地で行く人生であるだけでなく、そんな自分で完全に居直る人生だった。

そもそも僕は歴史に名を遺す漫画家を👨‍🎨目指していたのであって🤭サラリーマン👨‍💼として平々凡々に一生を終えるなんて愚の骨頂或いは基地外沙汰としか思えなかった。

20歳の頃、幸福の科学との出会いがあった🤭

幸福の科学経典の著者大川隆法先生の略歴を見ると何とサラリーマン👨‍💼を6年やって大悟とある。

大川隆法先生は歴史に残る要素である自分が神様になったという結果を得る前にサラリーマンとして6年間働いた訳である。

当時給料泥棒のバイトだった僕には衝撃的だった。

だって給料泥棒が6年間同じ会社で働く事は不可能だと分かってたからである。

つまり控えめに言っても大川隆法先生は6年間給料分の仕事が出来ていた訳である。

つまり大川隆法先生は僕とは対極にある人生を生きながら神様になった訳である。

20歳の頃から僕は大川隆法先生を尊敬していた。

今の僕から見た20歳までの僕は要するに無自覚にも神様を目指して毎日漫画の原稿を描いていた訳である。

徳川家康公

徳川家康公

徳川家康公遺訓といのちの電話

徳川家康公遺訓といのちの電話

20歳の頃から僕は人間の愛を得ることが出来なくなった。

だから、今の僕は神の愛を実践すべきステップにあるのじゃないかと思うが、如何だろうか?

男女の愛を理解しないと神の愛を理解する事は出来ない。(ヨハネ・ポッルートの静観対話)

2018年10月現在49歳になる今の僕は生きていて幸福だと思った事が20歳の頃から1度も無かった。

唯一の頼みの綱である仏陀サンガからも総スカンを食らった。

20歳の頃から自殺が人生のシナリオに組み込まれていた。

今の僕を救済してくれるのは愛の大河だけだと思う。

こうしてツラツラ駄文をものしていると再チャレンジして歴史に名が残る漫画家を👨‍🎨目指してもいいのではないかと思う。

僕がこれをすると天下人になるのに50年程かかった徳川家康公が僕の現在の理想像のような気がしてくる。

歴史に残る為の代償として僕の49年間があるなら納得出来ない事は無い。

歴史に残る偉人諸賢哲が何故に偉大だったか、それは心に於いて偉大だった訳である。

漫画の神様手塚治虫先生も許す愛を人生のメインテーマになさっていた。

それなら僕は自殺を漫画家として👨‍🎨のメインテーマにしてもいいのではないかと思う。

人は自分が苦難を経験しないと自分が裁いている同時代の同期生への愛には目覚めないものである。

苦難は人生の宝である。

順風満帆な一生は実りもまた少ない。

この世はいずれ去る世界である。

それなら出来るだけ美しい想い出を、許されるなら青柳裕子さんと一緒にクリエイトして遺したい。

Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...